おばあちゃん

2013年10月28日 日常
10/24(木)のことだけど、母方の祖母が亡くなりました。
心筋梗塞でした。85歳でした。

実は先週一度倒れて、救急車で運ばれてたんだよね。
心臓が痛くて苦しいから救急車を呼んでくれと、
同居してる息子さんに頼んで運ばれたんだけど、
その時は検査で異常が見つからなくて、帰宅になったんだよね。
すぐに母が向かったんだけど、この時はまだ全然元気で、
おばあちゃん自身も「全然なんともなかったのよ、あはは」
なんて笑ってたくらい、ケロっとしてたって言ってた。
だから私も、この時は会いに行かなかったんだけど、
あの時会いに行っておけばよかったって…今すごく後悔してる。

そして木曜日。
私よりいつも先に仕事に出る母が、
「おばあちゃんがまた倒れた」と言って戻ってきたんだよね。
その時、なんとなく嫌な予感はしてた。
けど、おばあちゃんのことは母に任せて、仕事に行った。
それから数時間、漠然とした不安が消えなくて、
ちょこちょこメールチェックしてたんだけど、
ちょうど会議が終わった12時半過ぎかな?
「おばあちゃんが亡くなった」というメールが母から届いてて、
目の前が真っ暗になった。

それからすぐに母に電話して、状況聞いて、
風邪引いて寝込んでた弟とも連絡取って、
それから…会社のトイレで号泣した。

信じられなかった。
あの元気だったおばあちゃんが、突然亡くなってしまうなんて。
先週倒れた時は、異常はなかったって言ってたじゃん。
なのになんで?なんで急に亡くなるの?なんで?

その後のことは…現実感がなかったな。
会社を早退して、一度家に戻って、
おばあちゃんが実家に戻るのが夕方だと聞いて、
それまでに家のことやって、
父が会社から帰ってきたので、
父・弟・私の3人でおばあちゃんに会いに行きました。
結婚して家を出てる次男も駆けつけてくれました。

おばあちゃんは…綺麗に眠ってました。
とても苦しかったみたいで、
決して穏やかな表情ではなかったけれど、
でも、声をかけたら目を覚ましそうなくらい、綺麗に眠ってた。

それから色々聞いた。
先週倒れた時のこと、前日まで全然元気だったこと、
そして今朝倒れてから亡くなるまでのこと。
色々聞いて…また涙が止まらなかった。

先週倒れた時、もっとしっかり検査してくれてたら、
状況は変わったのかもしれない。
そう思うとものすごく悔しい。
それにあの時、一瞬「私も会いに行こうかな?」と思ったのに、
なんであの時行かなかったのか…それがすごく悔しい。

おばあちゃんに会ったのは…お正月以来だったかな?
都内に住んでるから、いつでも会いに行ける距離だったのに、
なかなか会いに行けなくて…今、ものすごく後悔してる。

数年前に父方の祖父が亡くなった時も、本当に悲しかった。
でもあの時は…倒れてから4か月闘病生活が続いたから、
その日が来るのを覚悟はできてたし、
その間何度も会いに行けた。

けど今回は…あまりにも突然すぎて、信じられなくて、
後悔ばかりが押し寄せてきた。

あまり会いに行けなかったけど、おばあちゃんが大好きだった。
料理が得意で、いつも美味しいおこわや煮物や漬物用意してくれてた。
中でもおばあちゃんが作る漬物とおはぎは大好物で、
この2つはこれ以上においしい物はないってくらい、美味しかった。
編み物も好きで、よく靴下編んでくれた。
おばあちゃん派手な色が好きで、
なんでこの色!?って色合いも多かったけど、
おばあちゃんが編んでくれた靴下はとても暖かくて、
冬場はすごく重宝してた。
それにいつもお洒落で可愛かった。
特にスカーフが大好きで、いつも必ず首元にスカーフ巻いてた。
先週倒れた時も、その時はまだ意識はしっかりしてたから、
救急車が到着するまでに、「スカーフ巻いていきたい」
って言って、自分でスカーフ巻いてたんだって。
ここ数年、足腰は弱くなってたけど、
毎日の散歩は欠かしてなかったみたいだし、
痴呆症も全くなく、本当に元気で明るいおばあちゃんだった。

だから…やっぱり今でも信じられない。
おばあちゃんのあの笑顔がもう見れないなんて、
もう私のことを呼んでくれないなんて、
そんなの信じたくないし、すぐに受け入れるなんてできない。

でも…ちゃんと送り出します。
それが私がおばあちゃんにできる、最後のことだと思うから。
けど…もうしばらく泣くのを許してね、おばあちゃん。

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